平和への思い再確認の旅

広島市

05 平和への思い再確認の旅

  • ●小型車タクシー(最大4名乗車)JPY19,360
  • ●ジャンボタクシー(最大6〜9名乗車)JPY28,550
  • 施設入場料は詳細ガイドを参照ください。

3.5時間

広島市は人類史上初めて核兵器が実践使用された街です。原子爆弾により35万人の人口のうち9~16万人が4カ月以内に犠牲になったといいます。被爆を体験した街だからこそ伝えることのできる平和への思いをしっかりと受け継ぎ見つめる時間をつくります。

世界平和を祈る「平和記念公園」

「平和記念公園」は、原爆死没者の慰霊と世界恒久平和を記念して開設された都市公園です。このエリアは、江戸時代から昭和初期まで広島市の繁華街として賑わっていましたが、1945年8月6日に人類史上初めて落とされた原子爆弾により破壊されました。
被爆後、爆心地周辺を恒久平和の象徴の地として整備するため、1950年から平和記念公園の建設が進められ、1955年に完成しました。公園内には、広島平和記念資料館や原爆死没者慰霊碑、原爆ドーム、平和の願いを込めて設置された原爆の子の像など数々のモニュメントがあります。
また、公園の南側・平和大通りには欄干の形状が独特な平和大橋と西平和大橋があり、そのデザインは日系アメリカ人彫刻家イサム・ノグチが手掛けています。

慰霊碑
慰霊碑
原爆の子の像
原爆の子の像

原爆の恐ろしさを学ぶ「広島平和記念資料館」

平和記念公園敷地内の中心施設で、東館と本館からなる広島原爆の惨禍を伝える資料館です。
1955年開館当時は「広島平和開館原爆記念陳列館」と呼ばれ本館のみでしたが、その後2回の大改修を実施。1994年に改築し「平和記念資料館」と呼ぶようになり、当初からの建物を本館、新たに建設された建物を東館と呼んでいます。2006年には本館部分が、戦後建築としては初めての重要文化財に指定されました。
現在、本館は改修工事のため閉館しており、2018年7月にリニューアルオープン予定です。

本館には、原爆の熱線・爆風・放射線・高熱火災の凄まじさを物語る被爆者の遺品や被爆資料が展示、1945年8月6日に広島で何が起こったのかを伝えています。
東館には、被爆前と被爆後の広島の様子、広島に原爆が投下された経緯、広島市の平和への取り組みなどについて、模型や映像、写真パネルなどで紹介しています。原爆記録映画が視聴できるビデオシアター、市民が描いた原爆の絵の展示室、原爆や平和に関する図書資料が閲覧できる資料室などがあります。

広島平和記念資料館は外国人入館者が多く、トリップアドバイザーの“外国人に人気の日本の観光スポット”調査でも高い評価を得ています。観覧の感想を書き留めるコーナーもあり、“平和へのメッセージ”専用ノートには、国内外の多くの人々がメッセージを残しています。
ミュージアムショップでは、原爆・平和に関する書籍やグッズを販売しています。

※入館料大人200円

外観全景
外観全景
内部の展示
内部の展示
平和の灯
平和の灯

負の世界遺産「原爆ドーム」

「原爆ドーム」は、原子爆弾の威力や悲惨さを今に伝える広島平和記念碑です。世界遺産にも登録され、負の世界遺産と呼ばれています。

原爆ドームは、技術工芸品展覧会や菓子飴品評会、美術展などが開催されるレンガ造りの建物「広島県産業奨励館」でした。しかし戦争が長引く中、奨励館業務を停止して行政機関の事務所として使用されました。
1945年8月6日、建物の南東約160m、高度約600mの位置で原爆が炸裂。爆風は1㎡あたり35tの圧力、風速は秒速440mという凄まじさで、激しい爆風と熱線を浴びて燃え上がったといいます。建物に窓が多く、爆風がほぼ真上から下に働いたことで、奇跡的に側面の壁や鉄骨のドーム部分の全壊が免れたといわれています。とは言え建物内は熱線による火災で全焼、建物内にいた人は全員即死という惨事でした。

原爆ドームは、破壊された建物を破壊された当時の状態のまま保存していくことに意味があります。しかし耐震性の確保や劣化対策など、原型をいかに残すか課題を抱えています。

元安川(南西)方向より
元安川(南西)方向より
南東方向より
南東方向より

原爆で焼失した日本三大平城「広島城」

「広島城」は、1589年に豊臣秀吉の五大老の一人として知られる毛利輝元が築城した平城で、通称“鯉城”とも呼ばれています。設計には大阪城の築城を手掛けた黒田官兵衛も参加し、大阪城に匹敵する城郭となりました。しかし関ヶ原の戦いで石田三成軍についた毛利は広島城を明け渡すことに。江戸時代には福島正則が居城し、さらに城を改造。その後、浅野長政の子・長晟が居城しました。

城島城は、1931年に国宝に指定された天守をはじめ櫓や御門など城郭建築が現存していましたが、1945年の原爆によって倒壊。1953年に外観復元されました。1989年の築城400年を機に内部改装を実施し、今は武家文化がテーマの歴史資料館となっています。原爆で焼失した二の丸表御門・平櫓・多聞櫓・太鼓櫓は、1994年までに江戸時代の姿に復元されました。
名古屋城・岡山城とともに日本三大平城とよばれる広大な敷地を誇り、日本100名城にも選定されています。

※天守閣入場料大人370円

復元天守閣
復元天守閣
表御門
表御門

復元を重ねた名勝「縮景園」

「縮景園」は、広島藩主浅野長晟が1620年から造らせた別邸の庭園です。作庭者は茶人として知られる家老の上田宗箇で、中国杭州の景勝地・西湖を模したと伝えられています。
園の中央には池を掘って大小10余りの島を浮かべ、山や渓谷、橋、茶室、四阿などを配置、それをつないで回遊式庭園として楽しめるよう造られています。

1945年の原爆により亭館や樹木などほぼ焼失。縮景園は空襲時の市民の避難先に指定されていたので、被爆直後は多くの被災者であふれたといいます。当時、園内で落命した被爆者の一部は丘の上に埋葬されたといい1987年に発掘調査が実施され、多くの遺骨が発見。その場所には慰霊碑が建てられています。
園の復旧は1949年からスタート、1951年に復旧しながら開園しました。1964年には数寄屋造りの清風館が、1974年には茶室の明月亭が復元されました。

園内には、クロマツやヤマモミジ、ソメイヨシノなど植生され、春の桜に秋の紅葉はもちろん、梅に桃、ツツジに藤、アヤメなど、四季それぞれに花が咲き、美しい景色を見せてくれます。
散策に疲れたら売店「泉水亭」へ、抹茶やみたらし団子をいただきながらひと休みしてください。

※入園料大人260円

深緑の縮景園
深緑の縮景園
山頂駅から木立の間を5〜6分
山頂駅から木立の間を5〜6分