五湯お湯くらべ

07五湯お湯くらべ

  • ●加賀の國観光グランキャブ 最大6名乗車 55,000円
  • ※上記料金には、入場料・体験費用・有料道路代・駐車料金・他の交通機関の料金は含まれておりません。
  • ※所要時間は出発地および到着地で異なるため標準所要時間となっています。申込時にご確認ください。

7.5時間

開湯1300年の歴史を誇る。『あわづ温泉総湯・足湯瞑想の湯』

歴史は古く、開湯1300年の歴史を誇り、北陸最古の温泉と言われています。718(養老2年)年、霊峰白山開祖・泰澄大師により開湯されました。白山権現の「粟津なる村に霊泉湧出す。汝、ここにゆきて之を掘り、末代衆生の病患を救うべし」というお告げによって発見されたと伝えられています。
泉質は、無色透明・純度100%の硫酸塩泉(芒硝泉/ぼうしょうせん)。口に含むとほのかな塩の香りと酸味を感じます。血管拡張作用に優れ、穏やかに血行を促すため、血液循環が原因の神経痛、高血圧症、動脈硬化症筋肉痛、痔疾などに効果があり、保養・湯治向けの湯として長く知られていました。
また、「世界一古い宿泊施設」としてギネスブックに一時登録された旅館があることでも有名です。
各旅館が自家掘りの源泉を持ち、施設によって泉質と泉温が微妙に違うのも特徴のひとつです。

足湯は「瞑想の足湯」をコンセプトに作られています。おすすめは夜。湯船周辺の床面に光ファイバーで天の川と流れ星を演出したり、天井や周囲のガラスの壁面に水の揺らぎを映し出す工夫が施されていたりと、幻想的な雰囲気です。

総湯全景
総湯全景
正面玄関
正面玄関
瞑想の足湯
瞑想の足湯
夜がおすすめ
夜がおすすめ

ガイド 温泉入浴のマナー

温泉入浴に慣れていない外国人の皆様のために、簡単なマナーをまとめました。

【温泉入浴のマナー】

  • バスタオルや水着を着用して入浴しない。
  • 風呂に浸かる前に体にお湯をかけ、汚れを落とします。
    これをかけ湯といいます。「かけ湯(かかり湯)」には温泉の泉質と温度に体を慣らすという大切な意味もあります。
  • タオルを浴槽につけない。
  • 周囲の方にシャワーのお湯やシャンプーの泡などがかからないように注意します。
  • 体は浴室でしっかり拭いてから脱衣場に移動し、脱衣場を濡らさないようにしましょう。体を濡らしたまま脱衣場に入って、バスタオルで体を拭くのは典型的なマナー違反です。
イメージ
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粟津温泉を見守る古寺。『大王寺』

養老山大王寺は、粟津温泉と同じく約1300年の歴史を持つ、真言宗のお寺です。
泰澄大師が白山神のお告げに従い、村人と共に温泉を掘り当てました。そのとき感動した村人の請いに応じて大師は、首に掛けていた小さな薬師如来と、自ら刻した聖観世音菩薩を守護仏として残し、温泉守護の寺を建てて「泰應寺(たいおうじ)」と名付けたと伝えられています。

大王寺の本尊は、一寸八分の掛佛「薬師如来」が「聖観世音菩薩」の円後光の中央上に掛けられたもので、その両尊が泰澄大師の残したものだと言われています。33年に1度だけ開帳される秘仏でもあります。
次は2020年ですが、「粟津温泉の開湯1300年祭のときには開帳することになると思います」と女性住職・華蓮さんが話されていました。

本堂正面
本堂正面
境内
境内
温泉街からは階段を昇る
温泉街からは階段を昇る

日に七度異なる色に会える眺望。『片山津温泉 総湯』

日に七度色を変える美しい柴山潟の南岸に拡がる片山洲温泉。発見は1653(承応2)年ですが、本格的に開発されたのは明治になってからと比較的新しい温泉です。
泉質はナトリウム・カルシウム塩化物泉。保温効果があり湯冷めしにくく、女性に多い冷え性にも効能があると言われます。

湖畔に建つ総湯はガラス張りの近代的な佇まい。「温泉文化を継承しつつ、市民と観光客が交流できる」というコンセプトの温泉施設です。
全面ガラス張りの建物の中からは、雄大な白山連峰を背景に美しい柴山潟の眺望が楽しめます。
白山や柴山潟の景色を眺めながら湯に浸かれる、開放的な温泉です。
2階には癒しのひと時を過ごすために「まちカフェ」が設けられています。加賀の特産品をふんだんに使い、生産者との深いつながりを活かした食材による旬の料理やデザートが楽しめます。

片山津温泉の足湯「えんがわ」は温泉街の中心部にある砂走(すなはせ)公園あいあい広場にあります。入浴と同様、保温効果がとても高く、冷え症や関節痛に効果的です。

近代的な外観の総湯
近代的な外観の総湯
足湯
足湯
足湯
足湯

別称うきうき弁天。『浮御堂』

浮桟橋で結ばれた湖上に建つ御堂・浮御堂。古くからの伝説「龍神と娘」にちなみ、弁財天と竜神が祀られています。現在の片山津温泉へと発展したことへの感謝の証として建てられました。
浮御堂は片山津温泉のシンボル。夜になると背後にある高さ70mの大噴水とともにライトアップされ幻想的な光景をご覧いただけます。

名の通り浮いているような浮御堂
名の通り浮いているような浮御堂
幻想的な夜景
幻想的な夜景

ふたつの総湯と魯山人。『山代温泉総湯 総湯・古総湯』

山代温泉では、ふたつの“総湯(共同浴場)”が楽しめます。「総湯」は、広く新しい共同浴場。熱交換システムを導入し、加水なしの100%源泉です。もうひとつの「古総湯」は、明治時代の総湯を復元し、外観や内装だけでなく「湯あみ」という温泉に浸かって楽しむ当時の入浴方法も再現しました。
山代温泉は北大路魯山人とたいへん深い関わりがあります。
魯山人は、書家、美食家、陶芸家、料理人など多くの肩書きを持つ昭和の文化人。その才能開花の一助を果たしたのが、山代温泉街の旦那衆でした。魯山人は旅館の離れに住まいながら、看板を彫り、舌を肥やし、九谷焼の名工・須田靑華から陶芸の手ほどきを受けたのです。

千三百年以上前にある高僧が傷口を湧水で癒す一匹のヤタガラスを見つけたのが山代温泉の始まりと言われています。その湧水が温泉だったので人々は「烏の湯」と呼んで親しんできました。足湯中央には古事記や日本書紀にも登場する伝説の三本足の霊鳥「ヤタガラス」の像が飾られています。

古総湯
古総湯
古総湯内部
古総湯内部
足湯
足湯
伝説のヤタガラスが傷を癒した「烏の湯」
伝説のヤタガラスが傷を癒した「烏の湯」

若き日の魯山人に会う。『魯山人寓居跡いろは草庵』

北大路魯山人が約半年間生活した離れは、「魯山人寓居跡いろは草庵」として公開されています。囲炉裏の間や実際に使っていた文机や青磁の手焙り、書や絵を描きながら眺めた庭。苔むした中庭を望む板の間で、お茶をいただきながら、しばし静寂に浸れば、魯山人と旦那衆の息づかいが感じられることでしょう。

いろは草庵
いろは草庵
2階の和室
2階の和室
板の間より望む庭
板の間より望む庭

芭蕉も絶賛、芙蓉の三名湯。『山中温泉 総湯 菊の湯』

自然に囲まれた山中温泉、温泉街は大聖寺川の渓谷沿いにあります。泉質は硫酸塩泉でほのかな匂いが特徴です。
山中は伝統文化が息づくまちで、日本有数の漆器「山中漆器」、日本三大民謡のひとつ「山中節」、世界的に評価の高い「九谷焼」にふれることができます。
奥の細道の途中、温泉嫌いで有名な松尾芭蕉が、山中の湯をたいそう気に入り、9日間も逗留、有馬・草津と並ぶ「扶桑の三名湯」と讃えたといわれています。そして、温泉につかり、景色を楽しみ、『山中や 菊は手折らじ 湯の匂ひ』と詠んでいます。
総湯・菊の湯は芭蕉の詠んだ句から命名されています。

総湯菊の湯と棟続きに山中座があります。
のべ1500名の山中漆器職人の手でつくられた山中座では土・日・祝日、山中芸妓による山中節の唄や踊りが上演されています。

無料の足湯は菊の湯の正面にあります。

総湯 菊の湯
総湯 菊の湯
足湯
足湯

工芸、芸能、そして景観と盛りだくさん。『鶴仙渓』

美しい風景の中を散歩するのも山中温泉の楽しみ方のひとつです。代表的な景勝地が「鶴仙渓」。温泉街に沿って流れる大聖寺川のこおろぎ橋から黒谷橋までの間、約1km。遊歩道が整備され、四季折々の彩りを見せる山中の自然を存分に楽しむことができます。中でも紅葉の頃の眺めは格別です。
S字型の斬新なデザインのあやとりはし、総檜造りのこおろぎ橋。松尾芭蕉を祀った芭蕉堂や、書院造りの武家屋敷に九谷焼や尾形光琳の作品を展示した無限庵、鶴仙渓川床などみどころもたくさんあります。

紅葉の頃の鶴仙渓
紅葉の頃の鶴仙渓
大聖寺川沿いの遊歩道
大聖寺川沿いの遊歩道

自然豊かな里山の湯。『辰口温泉 総湯 里山の湯』

加賀の國の五つの温泉の中で、金沢から最も近い辰口温泉。
その昔、池の中に気泡を発して温泉が湧き出していました。当時の村人たちは傷ついた馬の脚を癒していたと言います。度重なる洪水により温泉は埋まってしまいました。その後、多くの人々が掘り起こそうとしましたが、失敗に終わっていました。天保七年、来丸村の源介が薬師如来のお告げを聞いてついに源泉を掘りあてたそうです。
泉質はナトリウム泉で、身体の疲れや冷え性などに効果があります。いわゆる「温泉街」ではなく、里山に囲まれた自然のなか、四季折々の景色を楽しめます。

足湯は、辰口温泉総湯「里山の湯」と温泉街を結ぶ散策路の途中に位置しています。散策路からは、辰口温泉の街並みや豊かな緑など、風情漂う景色を楽しむことができます。歩き疲れた足には効果抜群です。

辰口温泉
辰口温泉
総湯 里山の湯
総湯 里山の湯
足湯
足湯
歩き疲れた足に心地よい
歩き疲れた足に心地よい

福を集めるお寺。『集福寺』

集福寺は、1533年越中砺波郡小坂村(富山県小矢部市小坂)に開創され、1600年金沢へ移り、1895年辰口温泉の守り寺として現在地に写されたそうです。「福を集める寺」という縁起の良さから人気を集めています。
享保年間、江戸相撲で活躍した大関が奉納したという石造の地蔵菩薩坐像は、北陸随一の大きさといわれ、1964(昭和39)年に能美市(旧能美郡辰口町)の文化財に指定されています。

集福寺 山門
集福寺 山門
本堂
本堂
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